大根島と高麗人参の歴史

大根島は島根県東部の中海に浮かぶちょっと変わった名前の島で、高麗人参の日本での3大産地のひとつとして知られています。
ここでは、大根島と高麗人参の歴史について説明します。

高麗人参とは?

詳しい情報

高麗人参は、中国北部やロシア沿岸、韓国などのアジアの極東でのみ自生するウコギ科の多年草(数年にわたって生存する植物)で、「朝鮮人参」「おたね人参」とも呼ばれています。

高麗人参は葉や茎も利用できますが根の部分に栄養素がバランスよく含まれているので、根の部分を使用することが多いです。
高麗人参の根は頭、胴体、足、尾に分かれていて、バランス良く育つと人の形に似るので人形に近いほど品質が良いとされています。

高麗人参は土地の栄養を根こそぎ吸い尽くすので栄養素を豊富に含んでおり、滋養強壮、疲労回復をはじめ、更年期障害、生活習慣病、冷えの予防、改善、自律神経の乱れの調整、ダイエットや美肌効果、などさまざまな効果があります。

高麗人参と大根島の歴史

大根島での栽培は江戸時代に始まった

日本では高麗人参は、1729年、8代将軍の徳川吉宗の時代に栽培に成功し、全国に広がりました。

大根島があった松江藩は、当時、飢饉や先代までの政策の失敗などで財政が大きく傾いていました。
そのため、6代藩主の松平宗衍(むねのぶ)は、財政難の立て直しに高麗人参の栽培を始めました。
栽培は難しくなかなかうまくいきませんでしたが、先に栽培成果があった下野国(栃木県)から技術を学んでようやく栽培に成功しました。

大根島は火山島のため、ミネラルを豊富に含んだ土壌が特徴です。気温や湿度などの栽培条件も良かったため品質の良い高麗人参が栽培できました。
その後は中国への輸出も行えるほどとなり、莫大な収入を得て、財政難は解消されました。

当時、高麗人参は藩の直営する「御手畑」で、選ばれた「御手人」によってのみ作られ、栽培されていることや栽培方法は厳重に管理されて秘密とされていました。
しかし、種まきや手入れ、採取などには島民が強制的に働かされていました。

明治維新後に島民によって発展

明治維新後、明治5年に高麗人参の栽培は民営化され、7年には自由販売が可能となりました。
そのため、島民は総力を挙げて高麗人参の栽培に取り組み、生産量は4倍も増えました。
海外へも輸出し、大根島の高麗人参の品質は海外からも高く評価され、全盛期には島民の3~4割が高麗人参の栽培に関わっていました。

今でも、大根島の高麗人参は日本の3大生産地(島根県、長野県、福島県)のひとつに挙げられています。
ちなみに、大根島の名前の由来は、高麗人参を栽培されていることを外部に知られないように、人参島ではなく大根島と呼んだのが今でも続いている、という説があります。

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